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今帰仁城跡

今帰仁城跡は、世界最大級の水槽をもつ「沖縄美ら海水族館」などが立地する、沖縄本島北部の本部半島に位置する要害の城跡です。国史跡であるとともに、ユネスコの世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとしても登録されたところから、最近では訪れる観光客の数も増えてきているところです。沖縄県庁がある那覇市の中心部からは北に85キロほど離れており、車で1時間30分ほどの道程となります。


この今帰仁城跡の歴史は、13世紀にまでさかのぼるものといわれていますが、正確に誰の手によって築かれたのかは明らかにはなっていません。当時の沖縄には、按司とよばれる有力豪族が各地におり、城(グスク)を築いて領域を支配していました。これに続く14世紀の沖縄には、多くの按司を統括するような強大な力をもつ王が現れ、今帰仁村を中心として、与論島や沖永良部島までをも含む北部に北山王国、那覇市を中心とした中部に中山王国、糸満市を中心とした南部に南山王国が樹立され、三国鼎立の状況を呈するようになりました。


今帰仁城は、このときの北山王国の居城となったもので、当時は中国の明王朝との貿易が行われていたことから、城跡の発掘調査でも多数の中国や東南アジア製の陶磁器などが発見され、栄えていたことがうかがわれます。その後、1416年になって、中山王を中心とした連合軍によって北山王国は滅ぼされ、今帰仁城もいったん落城します。しかし、中山王国の本拠地である首里城とは距離的に遠いことから、今帰仁城跡には北部地方での反乱などを警戒するための監守が派遣されて、ひきつづきその居城として利用されることになりました。


1609年になると、薩摩藩の琉球征伐があり、城は炎上し、以後は監守もいなくなりますが、主郭に火之神の祠が設けられるとともに、御内原にある御嶽とよばれる男子禁制の神聖な場所などで祭祀が行われ、地域の精神的な拠りどころとして機能するようになります。高齢化のために簡略化される傾向にはありますが、現在でも旧盆明けには今帰仁城跡で海神祭の祭祀が行われ、国選択無形民俗文化財にも指定されており、往時をしのぶよすがとなっています。


今帰仁城跡は、標高が100メートルほどの高台に、南北350メートル、東西800メートルにわたる縄張りが設けられ、敷地の面積は4ヘクタールほどにも及びます。もっとも高い場所にある主郭から、女官部屋があった御内原、南殿や北殿とよばれる建物があった大庭をはじめとして、あわせて8つもの郭があった壮大な姿は、今に残る堅固な石垣により知ることができ、御内原のあたりは海を見渡す絶景ポイントにもなっています。

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